
学校の講堂を今の位置に移設したもので100年以上は経過しているのではないかと思う。建設後暫くは、朝倉甘木随一の殿堂として広く利用されていた。このことをもって今後どうするかと提案され、区民1人ひとりの意見を聞くことになった。昭和62年4月、西篤光区長指示のもとでアンケートを実施しまとめた。その結果、改修・50% 新築・38% 現状・12%であった。
この結果をもとに、新年総会で思いは結集し、「公民館建設問題審議会委員」を9名選出し審議委員会は発足した。審議会委員長に永野氏就任、昭和63年7月委員長より建設用地狭小につき用地買収代を含め建設費を毎月1,000円積み立てることを提案し可決され今日に至っている。
平成元年より委員会では、現在地の面積が約720m2で狭いので公民館建設用地を探した。
しかし、地価が高い・地権者の用地が少ない等の理由で交渉が成立しなかった。何せ現公民館は奥行が短く幅が狭いので奥にある柴田氏の土地180m2を譲ってもらうことにした。交渉は至難であったが畑井氏のお骨折りで公民館用地にすることができた。これで用地は900m2となった。委員会の喜びは如何ばかりであったか想像に難しくない。
台風19号!!
忘れもしない平成3年9月27日・実に台風一過とはこのことであろう。誰でも経験した。私の家は、幸いに被害が微小であった。近所では新築の家が根こそぎ、隣もその隣も……尾根の瓦は殆どはがされた。台風によって依井区全員が悲嘆のどん底に落された。それは公民館建設の資金にと楽しみにしていた10町歩程の山林・木はことごとく折れ全滅である。山を整理して得た金額なんと15万円…。泣くに泣けないとはこのことであろう。致し方なく5年間の基金積立てを2年間延長し、平成3年7月までにすることになった。又、現公民館後に立てるとすれば、敷地が長細りで不足するため隣接地の地権者の3人に相談したところどなたも心よく寄付を申し出られた。
いよいよ公民館建設?
平成5年9月建築設計上に、公民館の設計図と見積もり書を依頼した。先進地の公民館を視察研究した。その後、設計図と見積もり書を検討した。その結果、広間がやや狭く、駐車場はよく入って7台経費面でも約2,300万円の不足が出る。
協議した結果、その対策として、不足金は、寄付金でまかなう。車は乗ってこないようにしよう。
これでは、「作ってよかった。」とみんなで喜びを分かち合える公民館建設はできない。と当時の尾篭区長と東野会計は判断した、従って、審議委員会が、当初、最高の建設用地と判断していた広場と隣接の山本正行氏の田を譲渡してもらう。

不足金は、現公民館用地を売却すれば、不足金は売却代で補填できて約1,400万円となる。又、そうなれば用地も4,500m2となる。運動場と公民館が併設され広い駐車場も確保され、理想的な公民館建設ができると信ずるので再考をお願いしたい。と2人は、強く要望した。
平成6年11月の区役員と審議委員の合同会議で1. 用地変更は、総会で一度決定したことを変える
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